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== 名和系宇土氏 ==
宇土為光の娘婿であった[[名和顕忠]]は、為光死後に宇土城を占領し居城とした(宇土初代)そして顕忠以後対外的には「宇土殿」と称される宇土氏をしたとも、そする子孫は宇土3代の[[名和行興]]が宇土行興と名乗ったともされ、頃まで下るようである。宇土氏は以後4代行直を経て、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]末期まで存続、九州征伐に際して5代宇土顕孝は豊臣秀吉に降伏し、自身は大坂へ赴いて、弟の宇土顕輝を宇土城代とした。その顕輝は、1587年(天正15年)に生じた肥後国衆一揆の混乱に乗じ、翌1588年(天正16年)4月に宇土城で挙兵するも即座に鎮圧され、城主としての宇土氏はここに滅びる
 
==系譜==