「第四次中東戦争」の版間の差分

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|result=イスラエルがシナイ半島の非軍事化に合意し、エジプトとの平和条約が締結された
|combatant1={{EGY1972}}<br />{{SYR1972}}
|combatant1={{Flag|Egypt|1972}}<br />{{Flag|Syria|1972}}<!-- Egypt, Syria and Libya all had the same flag in 1972, see [[Flag of Syria]] (historical section) and [[:Image:Syria-flag-changes.svg]] and the current flag was introduced in 1980 --><br />'''アラブ連合による遠征軍:'''<br>{{Flag|Iraq|1963}}<br>{{Flag|Jordan}}<br />{{Flag|Morocco}} <br /> {{Flag|Saudi Arabia}} <br /> {{Flagicon|Egypt|1972}} [[Flag|Libya]] <br /> {{Flag|Kuwait}} <br /> {{Flag| Algeria}} <br /> {{Flag|Sudan}} <br /> '''その他の遠征軍:'''<br /> {{Flag|Cuba}} <br /> {{Flag|North Korea}}
|combatant2={{ISR}}
|commander1=Saad El Shazly
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[[ファイル:Anwar_Sadat_1978.jpg|frame|エジプト大統領[[アンワル・アッ=サーダート]]]]
サーダートはとりあえず、アラブ同士の結束を高めることに努力した。[[1971年]]9月に[[シリア]]・[[リビア]]と'''[[アラブ共和国連邦]]'''<ref>[[リビアの国旗]]がエジプトと同じなのはこの同盟のため。</ref>という緩やかな連邦を結成し、翌[[1972年]]4月には[[ヨルダン]]との国交を断絶した。[[パレスチナ解放機構]](PLO)を追放した裏切り者と断交することによって、アラブの盟主の地位を固めようとした。一方で、この年7月に[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[軍事顧問]]を国外退去させ、ソ連との繋がりを絶とうとした。これによって[[イスラエル]]に影響力のある[[アメリカ合衆国|米国]]が中東和平に本腰を入れるのではないかと期待した。しかし米国は[[ベトナム]]問題や[[ウォーターゲート事件]]で手が一杯で動かなかった。
 
この年、[[日本赤軍]]が[[テルアビブ空港乱射事件]]を起こし、[[ミュンヘンオリンピック事件]]が起こったりと、何かとアラブの評判を下げる事件が続き、その中でエジプトの都合の良い講和([[シナイ半島]]の全面返還)に導くには、穏便路線では大国に与える衝撃が足りないように思えた。
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* [http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB98/index.htm The October War and U.S. Policy] - Provided by the ''National Security Archive''.
* [http://www.globalpolitician.com/articles.asp?ID=132 Legal Status of West Bank, Gaza and East Jerusalem]
== 注記 ==
 
<references />
{{冷戦}}
{{Link FA|en}}