「ガブリエル・デ・ボルボーン」の版間の差分

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当時はナポリ王およびシチリア王であったカルロス3世と、その妃でポーランド選挙王および世襲のザクセン選帝侯[[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世]]の娘である[[マリア・アマリア・フォン・ザクセン|マリア・アマリア]]の間の四男として、[[ナポリ]]郊外の[[ポルティチ宮殿]]で生まれた。
 
ガブリエルは父が治めていた[[ナポリ王国]]で幼少期を過ごした。7歳のとき、ガブリエルは両親、次兄カルロス(後の[[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]])、姉[[マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン|マリア・ルイサ]]、弟[[アントニオ・パスクアル・デ・ボルボーン|アントニオ]]らと一緒に[[マドリード]]に移住した。伯父のスペイン王[[フェルナンド6世 (スペイン王)|フェルナンド6世]]が嗣子を持たないまま亡くなり、父カルロスがスペイン王位を継いだからである。ナポリには、知的障害のため王位継承者の地位を失った長兄のカラブリア公フェリペ、そして父から8歳でナポリ・シチリア王位を継承した三兄[[フェルディナンド1世 (両シチリア王)|フェルナンド(フェルディナンド)]]が残された。
 
ガブリエルはカルロス3世の息子たちの中で最も賢く働き者だった。非常に教養が深く、[[ガイウス・サッルスティウス・クリスプス|サッルスティウス]]および[[ガイウス・マエケナス|マエケナス]]の古典著作の素晴らしいスペイン語翻訳を残したことで有名である。またガブリエルは音楽家[[アントニオ・ソレール]]の才能ある弟子でもあり、エル・エスコリアル教会で師のソレールと一緒に2つのオルガンを使ってコンサートを催したこともある。1771年には建築家[[フアン・デ・ビリャヌエバ]]に命じて、[[エル・エスコリアル]]の敷地内に居館[[カシータ・デル・インファンテ]]を造らせた。