「プリティーポリー」の版間の差分

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== 戦跡 ==
2歳の6月には後の[[ダービー _(競馬)|ダービー]]2着馬であるジョンオーガントに10馬身差をつける大勝劇でデビュー戦を飾った。この後プリティポリーは、チェヴァリーパークステークス、ミドルパークプレート等連勝を重ね、この年は9戦して全勝、特にミドルパークプレートでは後の2冠馬セントアマントを3馬身破っている。
 
翌年ぶっつけで[[1000ギニー]]に出走すると1分40秒のレコードで3馬身差圧勝し、続く[[オークス]]では他馬陣営に回避続出でわずか4頭立てになってしまった。圧倒的な一番人気でここも3馬身差で圧勝した。さらにコロネーションステークス、ナッソーステークス余裕の勝利を重ね、秋のセントレジャーではヘンリーザファースト、二冠馬セントアマントらを破り牝馬三冠を達成した。次走のパークヒルテークスでデビュー以来の15連勝の記録も打ち立てた(この記録は現在でも[[リボー]]の16連勝に次ぐもので[[ブリガディアジェラード]]に並ぶ[[20世紀]]第2位)。
 
次走はフランスに遠征し輸送のトラブルもあってデビュー以来始めて敗北してしまう。翌年は、初戦のコロネーションカップをレコードで勝つものの目標の[[ゴールドカップ|アスコットゴールドカップ]]を前に故障で休養を余儀なくされた。秋には復帰し[[チャンピオンステークス]]やジョッキークラブステークスに勝ち以前と変わらない強さを見せた。しかし、翌年やはりコロネーションカップを勝ちアスコットゴールドカップに挑んだが20[[ハロン_(単位)|ハロン]]の超長距離戦が響いたかゴール前失速し2着に敗れた。プリティポリーはこの後故障のためゴールドカップを最後に引退している。
 
引退後は繁殖牝馬として10頭の産駒を出した。直仔に名馬といえるほどの産駒はいないが、牝系子孫にプリティポリーに並ぶ15連勝を達成したブリガディアジェラードがいる。