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その後も利用者の増加にともない数度にわたってホームの増設や内装の変更が行なわれ、さらに東側に近郊列車用の区画が増設された。また[[1906年]]にメトロ5号線が、[[1908年]]に4号線がそれぞれ開業した。
 
北駅はドイツ北部から[[北ヨーロッパ]]、[[東ヨーロッパ]]北部、東ヨーロッパ東部、[[ロシア]]へ至る鉄道網の起点となり、また[[鉄道連絡船]]を介して[[イギリス]]への列車も運転された。[[サンクトペテルブルク]]行「北急行(Nord Express)」や[[ロンドン]]行「黄金の矢(Fléche d'Or))といった列車の始発駅であった。[[日本]]から[[シベリア鉄道]]経由でフランスに向かった場合も、多くはこの駅に到着した。
 
[[1981年]]にRER B線の地下駅が開業したが、電化方式の違い(北は交流2.5kV、南は直流1500V)から直通運転は行なわれず、北駅で乗り換えが必要であった。[[1983年]]以降、交直切替のための地上設備が設けられ、順次[[交直流電車]]が導入され直通運転が行なわれるようになった。[[1987年]]にはRER D線が開業した。これらにより地上駅を起点としていた近郊列車の一部が地下線経由となり、パリ中心部を経て南郊外まで直通するようになった。