「エドゥアルト・シェーンフェルト」の版間の差分

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'''エドゥアルト・シェーンフェルト'''(''Eduard Schönfeld''、1828年12月22日 - 1891年3月1日)は[[ドイツ]]の天文学者である。最初の近代的[[星表]]「ボン掃天星表」(Bonner Durchmusterung)を作成した[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー]]の助手として、多くの天体の観測を行い、アルゲランダーの没後は掃天星表の改訂、完成に努めた。
 
[[テューリンゲン州]]の[[ヒルトブルクハウゼン]]に生まれた。天文学に興味を持っていたが父親の意に沿って[[ハノーファー]]や[[カッセル]]で建築を学び、1849年[[マールブルク大学]]の[[ローベルト・ブンゼン]]のもとで化学を学んでいた時、ゲルリンクの授業を受けて再び、天文学を志した。
 
1851年に[[ボン天文台]]のアルゲランダーのもとを訪れ、1853年には助手の地位を得た。翌年''Nova elementa Thetidis''を著し、学位を得た。ボン天文台では、掃天星表の作成に重要な貢献をするとともに、[[変光星]]の研究を行った。1859年からに[[ボン大学]]で私講師をしばらく務めた後、[[マンハイム天文台]]の所長となった。旧式な設備しかない天文台であったが[[星雲]]の観測を行った。1975年にアルゲランダーが亡くなると、ボン天文台の所長の座を継ぎ、ボン掃天星表に[[南天域]]の恒星を追加するなど改訂、追加に努めその成果は1886年の改訂8版に発表された。