「ヨハネ (使徒)」の版間の差分

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ヨハネは[[初代教会]]においてペトロとともに指導的立場にあった<ref>[[使徒言行録]]3:1など</ref>。
 
古い伝承では[[使徒]]たちの中で唯一殉教しなかったとされる<ref>何度か処刑されかけたが、いずれも生還を果たしてい。</ref>。[[イエスの母マリア]]を連れ[[エフェソス]]に移り住んだヨハネは、のち[[パトモス島]]に幽閉され、そこで黙示録を記した<ref>ヨハネ黙1:9</ref>。釈放されてエフェソスに戻り、そこで没した。福音書を書いたのはパトモス島から釈放された後、老年に達してからで、弟子プロクロスが口述したと伝える。また[[アトス山]]修道院を開いたのは、ヨハネに伴われた[[イエスの母マリア]]であるとする伝説もある。
 
教会では伝統的には『[[ヨハネによる福音書]]』、『[[ヨハネの手紙一]]』、『[[ヨハネの手紙二]]』、『[[ヨハネの手紙三]]』、『[[ヨハネの黙示録]]』が使徒ヨハネによって書かれたとされてきたが、[[高等批評]]の影響を受ける近代[[聖書学]]ではそのような見解を支持しない学者が多い。ただし、保守的な立場では今も伝統的な理解が保持される(詳細は[[ヨハネ文書]]を参照)。