「ヘブリディーズ諸島」の版間の差分

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1156年に勝利したソマーレッドは、2年後にマン島そのものへの支配権を奪い、かつて含まれていた全ての島々と王国を支配する、最後のマン島および島嶼部王国の王となった。1164年のソマーレッドの死後、マン島の支配者はもはやインナー・ヘブリディーズの支配者ではなかった。
 
===スコットランド支配===
1262年、スカイ島がスコットランド王国から襲撃を受けた。これによってノルウェー王[[ホーコン4世 (ノルウェー王)|ホーコン4世]]が問題解決のためスコットランドへ向けて出航する事になった。1263年末、ホーコン4世は200隻の船と15,000人で構成される大侵略軍でスコットランドへ向かった。スコットランド海岸周辺の嵐は、ノルウェー艦隊に打撃を与えた。それは[[ローモンド湖]]へ向け40隻の船が陸上を引きずられるほどだった。結局、ラーグスの戦いという小さな戦いが起こった。ノルウェー軍と、マン島王マグヌス3世率いるマン島同盟軍は、スコットランド王[[アレクサンダー2世 (スコットランド王)|アレクサンダー2世]]率いるスコットランド軍に対し大敗した。戦いの後、悪天候のため、ノルウェーおよびマン島同盟軍はオークニーまで航海することを強いられた。[[カークウォール]]到着後、ホーコン4世は司教館にて、翌年夏にスコットランド遠征を再開するまで冬をオークニーで越すことを決めた。ホーコンが病に倒れ、1263年12月に急死したことで、遠征はされなかった。ホーコン4世の後を継いだのは息子の[[マグヌス6世 (ノルウェー王)|マグヌス6世]]だった。マグヌス6世は、スコットランド西方や[[アイリッシュ海]]に領有するノルウェー領を維持するよりも、スコットランドとの和平を重要視していた。1266年のパース条約で、ノルウェーからスコットランドへ4000マルクを支払い、毎年100マルクを支払うことで、ヘブリディーズ諸島とマン島がスコットランド領となった。この条約では、オークニー諸島とシェトランド諸島に対するノルウェーの宗主権も認定した。しかし、マン島に対するスコットランド支配は、1275年のロナルズウェイの戦いで、最後のノース人のマン島王ゴドレッド6世がスコットランドに決定的に敗北した後、ついに追認された。
 
== その他 ==