「ヴィクトリア十字章」の版間の差分

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[[オーストラリア]]、[[カナダ]]、[[ニュージーランド]]等の英連邦王国に属する国では、イギリス本国の勲章の一部について自国の勲章を代わりに制定しているが、最高の戦功章はヴィクトリア十字章或はその国のヴィクトリア十字章であるとしている。[[1993年]]に制定されたカナダ・ヴィクトリア十字章は[[ラテン語]]の代わりに[[英語]]の文字が刻まれている([[2005年]][[8月]]現在受章者はいない)。
 
== 授 ==
[[ファイル:The defense of Rorke's Drift.jpg|right|thumb|200px|ロークス・ドリフトの防衛戦]]
1856年から合計1,355のヴィクトリア十字章が授与されている。当初は生存者、それに加えイギリス本土出身の生存のみ授与されていたが、[[20世紀]]のはじめ初頭には死後にも授与されるうになり、その対象もイギリス軍指揮下にある全ての軍人に対しても授与されるようになった。[[1914年]][[インド]]人兵士に対して[[植民地]]出身者として初めて授勲が行わ与された。
 
一日あたり最も多くの受章者を出したの戦闘は[[1857年]][[11月16日]][[第一次インド独立戦争]]([[セポイの乱]])における[[ラクナウ]](Lucknow)包囲戦である。この日の戦功に対し24のヴィクトリア十字章が贈られている。一度の戦闘において最も多くの受章者をだしたのは[[ズールー戦争]]におけるロークス・ドリフト([[:en:Rorke's Drift|Rorke's Drift]])の防衛戦([[1879年]][[1月22日]])で、この戦闘では11個のヴィクトリア十字章が授与された。また[[ボーイスカウト]]運動の創始者[[ロバート・ベーデン・パウエル]]卿も、[[ボーア戦争]]における[[マフェキング]]の包囲戦での功績に対してこれを贈られている。