「土屋政直」の版間の差分

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'''土屋 政直'''(つちや まさなお)は、[[江戸時代]]の[[大名]]、[[老中]]。[[常陸国]][[土浦藩]]主、[[駿河国]][[田中藩]]主。
 
土浦藩主・土屋数直の長男として生まれ、父の死後土浦藩を相続。その後駿河田中を経て、土浦に復帰。漸次加増をうけ、最終的に9万5000石となる。老中として4人の将軍に仕えたが、[[側用人]]制度には内心反対し、ポスト[[徳川家継|家継]]の後継争いの際、側用人の廃止を条件とし、[[徳川吉宗]]の擁立に尽力する。吉宗は将軍につくなる老中たちに口頭試問をしたが、なんとか恥を掻かずに済んだのは3問中2問を答えられることができた政直のみであった逸話は有名という
 
享保4年([[1719年]])、老中を辞する。辞任・隠居後もとくに前官礼遇を受けた。また、茶道を嗜み、[[小堀政一|小堀遠州]]の門人の一人でもある。<!--
 
※[[赤穂浪士]]が吉良邸討ち入りの際、隣家の[[土屋逵直|土屋主税逵直]]は、政直からみて伯父[[土屋利直|民部少輔利直]]の孫にあたる。逵直の次男[[土屋好直|好直]]を政直の養子としている。--><!--「土屋逵直」項に詳述)-->
 
==経歴==