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Tom2008 (会話 | 投稿記録)
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* 関根は若い頃武術の鍛錬もしており(明治時代の将棋の対局は、時に命懸けの真剣勝負となることもあったため)、無念流の使い手であった。
* 晩年は視力を失ってしまい、医者にも「回復の見込みなし」と診断され、失意の中で過ごしたと言われる。
* [[1904年]](明治37年)[[12月14日]]の[[萬朝報]]紙上に、「新題旅順陥落詰め」と題する256手詰の詰将棋を発表したが、この作品は[[大橋宗桂 (9代)|九代大橋宗桂]]の「[[献上図式|将棋舞玉]]([[1786年]])」第51番の盗作であった。<ref> [[二上達也]],福田稔『名作詰将棋』有紀書房、1987年3月、ISBN4-638-07228-3 p158 </ref>。
 
== 脚注 ==