「海江田信義」の版間の差分

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=== 帰郷 ===
[[明治]]3年([[1870年]])8月、大久保の尽力により官職に復帰、[[廃藩置県]]に先立って県となっていた[[奈良県]]知事に任命。同時に従五位となるが、明治4年([[1871年]])の廃藩置県で解任される。海江田が業務の多さを解消するために県庁を、手狭な旧奉行所から、[[興福寺]]境内の[[一乗院]]に移転したさい、[[民部省]]の承認を経なかったのが原因とされる。薩摩に帰り隠遁するつもりであったところが、[[島津久光]]の目にとまり、新政府に不満を持つ久光と新政府の調停役となる。このことが評価されて、明治5年([[1872年]])、[[左院]]四等議官として再度官途につく。明治6年([[1873年]])勅使とともに鹿児島へ下り、久光を説いて上京せしめる。明治8年([[1875年]])、左院の廃止により御用滞在を命じられるが、鹿児島に帰りほどなく病む。
 
=== 西南戦争後から晩年 ===