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[[1960年]](昭和35年)[[11月5日]]、カリフォルニア州ロサンゼルスのウッドランドヒルズで死去した。満80歳没。映画における功績により、[[ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]](6712 Hollywood Blvd.)に名を残す。
 
== エピソード ==
フランスの喜劇映画俳優・監督ジャック・タチが1958年、『ぼくの伯父さん』でアカデミー賞(外国語映画賞)を受賞して訪米する時、映画会社の人間が「[[ジェリー・ルイス]](当時人気絶頂)
とお会いになるおつもりがあるならば、セットしますよ。」と言った。彼は答えて、「ジェリー・ルイスと会う必要は感じません。もし会えるなら私はむしろ、[[マック・セネット]]と会いたいです。」
と答えた。当時、養老院で最晩年を送っていたマック・セネットはこれを聞いて大いに喜び、ジャックが深く愛したサイレント喜劇映画時代の仲間を呼び集め、ジャックを迎えて親しく歓談したという。
そのメンバーとは、無声喜劇映画の巨星たち、すなわち[[バスター・キートン]]、[[ハロルド・ロイド]]、そして[[スタン・ローレル]]([[オリヴァー・ハーディ]]は前年に死去。)であった。
 
== おもなフィルモグラフィ ==