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fr: Arche de la Défense 29 juillet 2010 à 22:12 版 を抄訳し、既存の日本語版に追加、加筆。
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[[画像:DefenseDuskElysées La Défense.jpgJPG|thumb|250px300px|[[シャンゼリゼ通り]]の端([[エトワール凱旋門]])からみた、夜のグランダルシュ近景]]
'''グランダルシュ'''([[フランス語]]:{{lang|fr|Grande Arche}})は、[[フランス]]の[[パリ]]近郊の[[ラ・デファンス]]にある[[超高層ビル]]である。1985年に着工され、[[フランソワ・ミッテラン|ミッテラン]]政下の[[グラン・プロジェ宣言]]によ200周年とな建造物の1つ1989年7月に落成記念式典が執り行われた。門のような形をしており、側面と内部は全面[[ガラス]]張りになっている。[[パリの歴史軸]]上にあるため、[[日本]]では'''新凱旋門'''とも称される。
 
== 名称 ==
フランス語の正式名称は「{{lang|fr|la Grande Arche de la Fraternité}}」(友愛の大アーチ)であるが、「Grande Arche」または「{{lang|fr|l'Arche de la Défense}}」(ラ・デファンスのアーチ)の通称で広く知られている。<ref group="脚注">日本ではフランス語の発音や文法が浸透していないため、[[アンシェヌマン]]が無視されたり、任意の発音を元にした表記が使用されたりして、「グランド・アルシュ」、「グラン・アルシュ」「グランド・アルシェ」、「グラン・アルシェ」などの揺れが存在する。</ref>
フランス語では、以下のようにも呼ばれる。
 
*{{lang|fr|la Grande Arche de la Fraternité}}:友愛の大アーチ
グランダルシュは[[カルーゼル凱旋門]]と[[エトワール凱旋門]]の2つの門が形成する都市軸直線([[パリの歴史軸]])の延長線ある建築物であるため存在し、日本語では「パリの第3の凱旋門」、または「新凱旋門」とも呼ばれる。しかし、実際には戦勝を記念して建てられた門ではないためので厳密な意味での[[凱旋門]]との訳語は適当ではなく、フランス語の名称にも "triomphe" (戦勝)の文字は入っていない。ただしかし、設計者[[ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン]]と建築技師[[エリック・ライツェル]]は建造物が[[20世紀]]におけるフランス凱旋として、[[平和]]ヒューマニズムの象徴となるこ[[民主主義]]を願ってされ計しという
*{{lang|fr|l'Arche de la Défense}}:ラ・デファンスのアーチ
日本ではフランス語の発音や文法が浸透していないため、[[アンシェヌマン]]を無視し、かつ、任意の発音を元にした表記が見られる。代表的な表記のゆれには、以下のようなものがある。
*「グランド・アルシュ」
*「グラン・アルシュ」
*「グランド・アルシェ」
*「グラン・アルシェ」
 
==概要==
[[画像:DefenseDusk.jpg|thumb|250px|[[シャンゼリゼ通り]]の端([[エトワール凱旋門]])からみた、夜のグランダルシュ]]
[[1982年]]、[[デンマーク]]人の[[建築家]]ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンやフランスの建築会社等により、[[4次元]]世界が見通せるような巨大な[[門]]というイメージで設計された。フォン・スプレッケルセンは[[1987年]]に死去し、そのあとをフランスの建築家[[ポール・アンドリュー]]が引き継ぎ、[[1990年]]に完成した。
パリの歴史軸上に新たなモニュメント建設する案が持ち上がったのは[[ジョルジュ・ポンピドゥー|ポンピドゥー]]や[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン|デスタン]]両大統領時代であったが、これを具体化するプロジェクトがようやく編成されたのは[[フランソワ・ミッテラン|ミッテラン]]政権下の1982年である。「{{lang|fr|projet Tête Défense}}」(デファンス・ヘッド・プロジェクト)と名付けられたこのプロジェクトによって設計が国際的に公募され、[[デンマーク]]人の[[建築家]]ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンと建築技師エリック・ライツェルの案が採択された。
 
フランスの建築会社[[ブイグ]]社によって1985年に建設が開始され、2,000人の労働者が投入された(うち2名が建設中に事故死)。設計者のフォン・スプレッケルセンは1986年夏にプロジェクトから身を引いた<ref group="脚注">スプレッケルセンは翌[[1987年]]に死去した。</ref>が、そのあとをフランスの建築家[[ポール・アンドリュー]]が引き継ぎ、グランダルシュは1989年に完成した。
グランダルシュは[[カルーゼル凱旋門]]と[[エトワール凱旋門]]の2つの門が形成する都市軸([[パリの歴史軸]])の延長線上にある建築物であるため、日本語では「パリの第3の凱旋門」、または、「新凱旋門」とも呼ばれる。しかし、実際には戦勝を記念して建てられた門ではないため[[凱旋門]]との訳語は適当ではなく、フランス語の名称にも "triomphe" (戦勝)の文字は入っていない。ただし、[[20世紀]]におけるフランスの(凱旋)門として、[[平和]]と[[民主主義]]を願って建設された。
 
==構造==
また、建物は都市軸に対して6.33°ほど回転しており、[[ルーブル美術館]]が都市軸となす角と同じになっている。回転方向はルーブル美術館と同側。
グランダルシュの建物は 幅 108m、高さ: 110m、奥行き: 112m で真ん中の部分に横に突き抜ける巨大な空間がある[[正八胞体]]の形をしている。中心の空洞部は[[ノートルダム聖堂]]がすっぽり収まるほどの大きさである。[[4次元]]空間から[[3次元]]の世界が見渡せるような巨大な[[門]]というイメージで設計された。一見すると単なる[[モニュメント]]のようにも見えるが、超高層オフィスビルとなっていて、最上階の35階に展望台があり、パリの観光名所ともなっている。<ref group="脚注">2010年8月現在、展望フロアは安全上の理由から閉鎖されている。{{cite web |url=http://www.grandearche.com/fermeture.html |title=Communiqué |format= |work= |accessdate=2010-08-12}}</ref>
 
12本の柱は地中30mの深さまで埋め込まれて、30万トンの重量に耐えられるようになっている。内外部の側面には厚さ5cmのガラスを、それ以外の部分には[[カッラーラ]]産の大理石を使用している。
建物はほぼ[[立方体]]の形をしており (幅 108m、高さ: 110m、奥行き: 112m) 、真ん中の部分に横に突き抜ける巨大な空間がある。一見すると[[モニュメント]]のようにも見えるが、超高層オフィスビルとなっている。最上階の35階に展望台があり、パリの観光名所ともなっている。
 
グランダルシュはパリの歴史軸に対して6.33°回転した配置となっている。その理由として、ラ・デファンスの下部を道路や鉄道が走っているためにグランダルシュの基礎を建設する上で制約があった、または[[ルーブル美術館]](ルーブル宮)にあるガラスのピラミッドがパリの歴史軸に対して回転しているために同様の角度とした、などの諸説があるが、''La Grande arche: Otto von Sprekelsen, Paul Andreu''を記したジャン・ピエール・クールシオによれば、この角度は意図的につけたものではなかったという。<ref>Jean-Pierre Courtiau, "La Grande arche: Otto Von Spreckelsen, Paul Andreu", ISBN-10: 2907757199, p.14, Demi Cercle (1994)</ref>
 
建物はほぼ[[立方体]]の形をしており (幅 108m、高さ: 110m、奥行き: 112m) 、真ん中の部分に横に突き抜ける巨大な空間がある。一見すると[[モニュメント]]のようにも見えるが、超高層オフィスビルとなっている。最上階の35階に展望台があり、パリの観光名所ともなっている。
 
==過去の主な催し==
以下は、完成前(建設中)のグランダルシュで行われた。
*[[1989年]]7月、[[フランス革命]]200年祭を記念する大規模な[[軍事パレード]]が行われた(→[[パリ祭]])にあわせて落成記念式典が行われた
*1989年7月、第15回[[主要国首脳会議]]([[第15回先進国首脳会議|アルシュ・サミット]])が開催された。
 
==関連項目==
*[[梅田スカイビル]](ビルの構造が似ている)
 
 
== 脚注 ==
<references group="脚注"/>
 
==参考==
<references/>
 
== 外部リンク ==