「ペルティナクス」の版間の差分

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| 全名 = '''プブリウス・ヘルヴィウス・ペルティナクス'''(将軍時代)<BR>'''カエサル・プブリウス・ヘルヴィウス・ペルティナクス・アウグストゥス'''(戴冠後)
| 出生日 = {{birth date|126|8|1|df=y}}
| 生地 = [[ミラノアルバ (曖昧さ回避)|メディオラヌムアルバ・ポンペイア]]
| 死亡日 = {{death date and age|193|3|28|126|8|1|df=y}}
| 没地 = [[ローマ]]
| 埋葬日 =
| 埋葬地 = ローマ
| 継承者 = [[セプテディデウス・セウェルユリアヌス]]
| 継承形式 = 簒奪
| 配偶者1 = [[:en:Flavia Titiana|フラヴィア・ティティアナ]]
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== 生涯 ==
===アウレリウス帝時代===
現在の[[ピエモンテ州]]付近にあった[[アルバ (クーネオ県)|アルバ・ポンペイア]]([[アルバ・ロンガ]]とは異なる)で身分の低い[[解放奴隷|自由民]]階層の家庭に生まれた。
 
成人すると修辞法の教師として職を得るが、途中でより待遇の良い帝国軍の兵士に転じた。軍人としての才能を発揮したペルティナクスは程なく[[百人隊長]]となり、更に[[パルティア戦争]]で優れた働きを見せて軍団司令官にまで立身した。幾つかの軍団の指揮官を歴任した後、[[ダキア]]総督として政界に進出した。