「陸軍海上挺進戦隊」の版間の差分

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1個戦隊は本部と3個[[中隊]](各マルレ30隻)から成り、中隊は本部と3個群(各マルレ9隻)から成っていた。1個戦隊の兵力は、戦隊長以下隊員104名とマルレ100隻、自衛火器として[[短機関銃]]4挺と[[拳銃]]を保有した。人員は、[[陸軍士官学校_(日本)|陸軍士官学校]]第51-54期出身の[[少佐]]・[[大尉]]を戦隊長とし、中隊長は陸士57期の[[中尉]]・[[少尉]]が中心、群長(小隊長)以下の幹部は[[学徒出陣]]の船舶幹部候補生や[[陸軍予備士官学校]]出身者などが充てられた。一般隊員は16-25歳の船舶特別幹部候補生の少年兵であった。
 
編成された部隊のうち第30戦隊までは[[フィリピン]]や[[沖縄県|沖縄]]、[[台湾]]などに配備された。輸送途中で搭乗船団が攻撃されて消耗した部隊も多いが、[[ルソン島の戦い]]や[[沖縄戦]]では実戦に参加した。マルレを消耗した後は、陸上戦闘に協力した。後半に編成された第31戦隊以降は訓練完了次第、[[本土決戦]]に備えて日本各地に展開した。末期の訓練生のなかには訓練中に[[広島市への原子爆弾投下]]を受け、その救出活動に出動したため[[被曝]]した者が多い。
 
もともと日本陸軍は、[[上陸用舟艇]]の[[大発動艇|大発]]や[[陸軍特殊船|特殊船]]と称する[[揚陸艦]]など、艦船部隊を豊富に有していた。このように海へ深くかかわった日本陸軍であったからこそ、通常なら海軍が所管するような突撃艇部隊を編成できたと考えられる。