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== 由来 ==
中世ヨーロッパの[[カトリック教会|カトリック]]において[[聖職者]]は様々な特権を持っており、[[司教]]や[[修道院長]]といった上級の聖職者は、世俗諸侯と変わらない権力を持っていたが、結婚し、跡継ぎの子供を作る事は認められていなかった。このため、親族の子供(甥)に様々な便宜を与えたり、実質的な後継者とする事が行われ、これをネポティズム(nepotism)<ref>nipote<伊>=甥、姪、孫。< <羅> nepos </ref>と呼んだが、密かに作った庶子を甥と偽る事もあった。[[ルネサンス]]期になると半ば公然と行われ、代表例が[[教皇]][[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]の庶子、[[チェーザレ・ボルジア]]である。また、[[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]も実の孫[[アレッサンドロ・ファルネーゼ (枢機卿)|アレッサンドロ・ファルネーゼ]]を14歳にも関わらず[[枢機卿]]に任命した
 
[[1692年]]に教皇[[インノケンティウス12世 (ローマ教皇)|インノケンティウス12世]]が勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」(Romanum decet Pontificem)を発布し、教皇が親族に財産や土地、利益を与える事の禁止を明文化した事によりネポティズムは終焉を迎えた。