「ヒズマジェスティ」の版間の差分

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しかし、ヒズマジェスティは種牡馬入り後に現役時代を遥かにしのぐ成功を収めた。初年度から[[ジャージーダービー]](当時[[競馬の競走格付け|G1]])勝ち馬コーモラントを出し、1979年に[[マンノウォーステークス]]連覇のマジェスティーズプリンス、1987年には[[エクリプス賞]]最優秀芝牡馬として選ばれた[[タイトスポット]]など活躍馬を次々と輩出した。これらの活躍により、[[1982年]]には[[北アメリカ]][[リーディングサイアー]]の座を得ている。
 
また、ヒズマジェスティは後継の種牡馬にも恵まれた。初年度産駒のコーモラントは[[ケンタッキーダービー]]馬[[ゴーフォージン]]などを出し、[[プレザントコロニー]]もまた[[プレザントタップ]]をはじめとした多数の産駒が重賞勝ちを収めてその系譜を伸ばしていった。現在もその父系は残っており、[[ジャパンカップ]]で優勝した[[日本]]調教馬[[タップダンスシチー]]もこの系統の出身である。なお、一部の産駒は[[日本]]に種牡馬として輸入されていったが、どれも現地であまり成功していかった
 
1995年9月14日、ダービーダンファームにて[[予後不良 (競馬)|安楽死]]処置が施され、27歳で永眠した。