「軍服 (大日本帝国陸軍)」の版間の差分

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将校准士官の冬衣夏衣は基本的に2個ホック(体格や嗜好に応じて1個ホックにすることも可能)の立折襟だが、下士官兵の軍衣夏衣は平折襟に近い開襟兼用立折襟。折襟への移行については、同様な軍装を採用していたドイツ軍への傾倒によるものという説、当時交戦していた[[軍服 (中華民国)|中国国民革命軍の軍服]](初期は[[中独合作]]によりドイツ軍の軍服に倣って採用していた)の影響と見る説があるが、そもそも戦間期において立襟から折襟への変更は世界的な流れであり(従来の立襟では首元が窮屈であり第1釦をはずしての開襟着用は体裁を損なうため)、同時に襟部の体裁(窮屈さを緩和するために襟高を低くすると見栄えが悪くなる)を考慮したこの新形式になったという説が一般的である。
 
[[File:Funasaka hiroshi.jpg|thumb|right|150px|旧制式の立襟冬衣に昭和13年制式の襟章を付した伍長。[[坂弘]]]]
旧制式の昭和5年制式に引き続き、軍装品に個性を見いだす青年将校文化は継承された。台襟の高さは大きいままに従来の立襟を彷彿とさせる折襟部分の開きが小さい仕立てが好まれる様になり、台襟と折襟を縫い付けたりスナップ・ボタンを仕込むなど折襟を固定したり、第1釦に届く台襟より長い折襟を持つものなどが登場した。