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しかし、[[1966年]]に[[アウトバーン]]がコース脇を通ることになったため、更にコースを短縮せざるを得なくなった。そこで[[ジョン・フーゲンホルツ]]がサーキットを再設計し、3つのロングストレートとスタジアムセクションを結んだコースとなった。
 
[[1968年]]に雨の中行われた[[フォーミュラ2]]のレース中、事故によって[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]が死亡してしまう。安全性向上のため、2つの長いストレートにシケインが作られた。1つめのシケインはジム・クラークの名前を取り、クラークシケインと呼ばれ親しまれた。
 
その後、[[1980年]]の[[パトリック・デパイユ]]の死亡事故を受けて、オストカーブ付近にも3つ目のシケインが作られた。その後は長きに渡って、森の中を走るストレートを3つの[[シケイン]]で区切る形で構成する高速セクションと、曲がりくねった低速のスタジアムセクションの2つに分ける高速コースだった。しかし、1991年の[[エリック・コマス]]のクラッシュを受けてシケインが改修されるなど、小変更は何度か行われた。1980980年代のオストシケインはただタイヤバリアで区切っただけの急造シケインであり、タイヤバリアのタイヤが衝突の勢いでコース上に散らばる事がままあった。
 
右のコースで灰色のレイアウトはフォレストゾーンと呼ばれていた。
 
[[2001年]]のドイツGP終了後に大改修が行なわれ、全長6.823kmから4.574kmへ大幅短縮し、中高速コースへと生まれ変わった。さらに、森の中を時速360km以上で駆け抜けた超高速ロングストレートは姿を消し、よりタイトな近代レイアウトへと変化した。尚、現在の旧コースは、旧コース入り口の先からオストカーブまで舗装が剥がされ草が生い茂っており、切り開かれた森だけが、そこにかつての高速コースがあった名残を残している
 
ホームストレート、及びインフィールドエリアはオールドコースのままである。そのため異様に道幅が狭い。ホームストレートの幅員も現在の基準で見ると非常に狭く、スタートしてすぐに右にターンするためスタート直後の事故も多い。2001年、スタートに失敗したミハエル・シューマッハにルチアーノ・ブルティが乗り上げ、宙を舞い上がる事故が有名である。
尚、現在の旧コースは、旧コース入り口の先からオストカーブまで舗装が剥がされ草が生い茂っており、切り開かれた森だけが、そこにかつての高速コースがあった名残を残している。
 
スタートするとまずは右の1コーナーへ。短いストレートの後、右に回り込んで左に切り返すシケインを通過。大きな弓状となった高速の4コーナーを通過し、旧コースの第3シケイン跡地に作られたヘアピンへ。短いストレートから右に曲がりモービル1セクションへ。また短いストレートを抜けて旧来から使われているインフィールドのヘアピンとS字へ。90度ターンの最終コーナーを抜けて1周である。
 
==補足==