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'''ズデンカ'''('''ズデナ''')'''・ス・ポジェブラト'''([[チェコ語|捷]]:'''Zdenka(Zedena) z Poděbrad''', 1449年11月14日 - 1510年2月1日)は、[[ボヘミア]]王[[イジー・ス・ポジェブラト]]の娘で、ザクセン公[[アルブレヒト3世 (ザクセン公)|アルブレヒト3世(勇敢公)]]の妃。ドイツ語名は'''ジドーニエ・フォン・ベーメン'''([[ドイツ語|独]]:'''Sidonie von Böhmen''')。
 
ズデンカはボヘミアの[[フス派]]貴族の領袖イジー・ス・ポジェブラトと、その最初の妻[[クンフタ・ゼ・シュテルンベルカ]]の間の末娘として生まれた。双子の片割れとして生まれ、母クンフタはこのときの難産で亡くなった。双子の姉[[カテジナ・ス・ポジェブラト|カテジナ]]は、ハンガリー王[[マーチャーシュ1世]]と結婚した。父は1458年にボヘミア王に選出されると、娘たちの政略結婚の相手を探し始めた。1459年11月11日、ズデンカとザクセン選帝侯[[フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯)|フリードリヒ2世]]の息子アブレヒト勇敢公の婚約が成立し、二人は1464年5月11日結婚した。結婚から半年後、夫アルブレヒトが父の後を継いでザクセン公となったのに伴い、ズデンカもザクセン公爵夫人となった。
 
ズデンカは実家がフス派でありながら非常に敬虔な[[カトリック]]信徒で、夫が[[フローニンゲン]]や[[フリースラント]]に遠征を行った時には同行することを拒んだ。夫と一時的に別居している間、ズデンカは[[アルブレヒツブルク]]で子供たちを育てた。1500年に夫が死ぬとズデンカはザクセン宮廷を退き、1510年に亡くなるまで[[タラント (ドイツ)|タラント]]で余生を送った。