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'''徳大寺 実堅'''(とくだいじ さねかた、[[寛政]]2年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]]([[1791年]][[1月10日]]) - [[安政]]5年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]([[1858年]][[12月15日]]))は、[[江戸時代]]後期の[[公卿]]。父は[[鷹司輔平]]、母は家女房の山形氏、養父は[[徳大寺公迪]]。養子は[[徳大寺公純]]([[徳大寺実則]]・[[西園寺公望]]の父)。
 
[[享和]]元年に[[侍従]]となり、以後順調に出世を重ねる。[[仁孝天皇]]の信任が厚く、天皇より学問所(後の[[学習院大学|学習院]])意向を受けると、[[武家伝奏]]として[[江戸幕府]]と交渉した。
 
[[嘉永]]元年に[[内大臣]]兼[[右近衛大将]]に任じられ、翌年辞任すると従1位を授けられた。
 
[[国学者]]としても知られる[[香川景樹]]は実堅に仕えていたことがあり、実堅は景樹から親しく[[和歌]]を学んだと言われている。
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