「チャパキディック事件」の版間の差分

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女性スキャンダルとしての側面も大きい
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[[File:TedKennedy 1962.jpg|right|300px|thumb|エドワード・ケネディ]]
'''チャパキディック事件'''(英語:Chappaquiddick incident)は、[[1969年]]7月に[[アメリカ合衆国]]の[[マサチューセッツ州]]で発生した、[[飲酒運転]]の末に起きた[[自動車事故]]と[[女性]][[スキャンダル]]。運転者の[[エドワード・ケネディ]][[上院議員]]は、この事故により[[大統領]]への道を永遠に閉ざされたと言わ評さている
 
==概要==
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大富豪の[[ジョセフ・P・ケネディ]]の9人の子供の末っ子であり、元[[大統領]]の[[ジョン・F・ケネディ]]と元[[司法長官]]の[[ロバート・ケネディ]]の弟で、マサチューセッツ州選出の連邦上院議員であるエドワード・ケネディは、同州のナンタケット湾にあるチャパキディック島で、1969年[[7月18日]]深夜にかけて男女12人が参加して開催された[[合コン|パーティー]]に参加した。
 
パーティーの最中にケネディは、昨年に暗殺された兄の[[ロバート・ケネディ]]のかつての大統領選挙スタッフであったマリー・ジョー・コペクニとともにパーティー会場を抜け出し、専用車の[[オールズモビル (自動車)|オールズモビル]]88を飲酒運転しコペクニとともに走り去ったが、その後自らの別荘のある[[マーサズ・ヴィニヤード]]島との間にかかるダイク橋を渡ろうとして橋から転落した。
 
なおダイク橋はかろうじて自動車が通過できる幅はあったものの、緊急時以外は徒歩での利用に限られていたため、なぜマーザス・ヴィ二ヤード島に別荘があり土地勘のあるケネディが無理やり渡ろうとしたのか後に注目された。