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遠藤 (会話 | 投稿記録)
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[[828年]]、[[文宗 (唐)|文宗]]の召致により、[[長安]]に入内し、紫衣を賜った。その後、[[裴休]]([[791年]] - [[864年]])と交流が生まれ、彼の質問に返答するという形式によって、『裴休拾遺問』を著した。
 
宗密の思想は、当時の仏教界を席巻していた馬祖禅に対する強烈な対抗意識によって貫かれている。しかし、洪州宗の絶大な力の前には屈するしかなかった。その思想が注目されるのは、[[五代]]の[[永明延寿]]([[904年]] - [[975年]])が提唱した教禅一致思想、更には、三教一致思想が大きな潮流となる後世のことである。
 
代表的な著作として『禅源諸詮集都序』等がある。