「アンドレ・メサジェ」の版間の差分

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[[パリ]]に学び、ニーデルメイエ宗教音楽学校にて一時期[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]に師事。[[1874年]]にサン=シュルピス教会の[[オルガニスト]]に就任。[[1874年]]に作曲家協会に提出した[[交響曲]]により金メダルを獲得し、[[1880年]]にサント・マリー=デ=バティニョル教会の楽長に就任。
 
[[1883年]]にフィルマン・ベルニカのコミック・オペラ《青靴下のフランソワ ''François des bas bleus'' 》を完成させ、[[1885年]]には自作の[[オペレッタ]]《神殿のツグミ ''La Fauvette du temple'' 》と《ベアルンの女 ''La Béarnaise'' 》を創作。後者は[[1886年]]に[[ロンドン]]で上演された。また同年、[[バレエ音楽]]《[[二羽の鳩]] ''Les Deux pigeons'' 》がパリ・オペラ座で上演された。
 
しかしながらメサジェの名声を確立したのは、コミック・オペラ《 ''La Basoche'' 》の[[オペラ=コミック座]]における[[1890年]]の上演である(英語版は[[1891年]]ロンドン上演)。メサジェの名声は、口ずさみやすく品の良いライト・オペラ《お菊さん ''Madame Chrysanthème'' 》([[1893年]])や《ミレルト ''Mirelte'' 》([[1894年]])、《 ''Les p'tites Michu'' 》([[1897年]])、《ヴェロニク ''Véronique'' 》([[1898年]])によって上向いていった。中でも《ヴェロニク》はイギリスで大当たりを取っている。