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{{調教師
|画 =
|説 =
|名 = 中尾正
|国 = {{JPN}}
|出 = [[京都府]][[京都市]][[伏見区]]
|生 = {{生年月日と年齢|1938|7|26}}
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|団 = [[日本中央競馬会]]
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|初 = [[1978年]]
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|勝 = 6208戦525勝(数字中央のみ)
|重 = 28勝(うち地方交流3勝)
|G1 = 1勝(うち地方交流1勝)
|所 = [[武田文吾]](1958年-1959年、厩務員)<br />[[加藤清一]](1959年-1968年、厩務員)<br />[[玉谷敬治]](1968年-1976年、調教助手)<br />[[中尾謙太郎]](1976年-1978年、調教助手)<br />[[栗東トレーニングセンター|栗東T.C.]](1979年-2009年、調教師)
}}
'''中尾 正'''(なかお ただし、[[1938年]][[7月26日]] - )は[[日本中央競馬会]](JRA)・[[栗東トレーニングセンター]]に所属した[[調教師]]である。主な管理馬に、それぞれ[[競馬の競走格付け|GI級競走]]に優勝した[[イブキマイカグラ]]、[[ビッグテースト]]、[[ビッグウルフ]]などがいる。
[[中尾
== 来歴 ==
長兄・謙太郎、次兄・銑治がそれぞれ厩務員、騎手見習いとして競馬界に入ったのに対し、正は父より一般企業に入ることを望まれ、私立平安高等学校に進学した。一方で、この頃から謙太郎が所属していた[[武田文吾]][[厩舎]]で[[アルバイト]]の厩務員として勤務を始めた。高校3年生の夏からは、後に[[アラブ馬|アラブ種]]の名馬として名を馳せる[[シュンエイ]]の担当となり、同馬の活躍に触発された正は大学進学を捨て、高校卒業後に武田厩舎の正式な厩務員となった。
翌年に[[加藤清一]]厩舎に移籍した後、1966年に[[調教助手]]資格を取得。同年に父と昵懇の仲であった[[玉谷敬治]]厩舎に移籍した。当時玉谷の元には謙太郎も移籍してきており、[[中央競馬]]発足後、厩務員出身者として最初の調教師転身を目指していた最中であった。謙太郎は1975年に通算8度目の受験で調教師免許を取得し、厩務員出身者が調教師へ転じる道が開かれた。翌年に正は謙太郎の厩舎に移籍し、1978年には自身も調教師免許を取得した。騎手出身の銑治も1973年に調教師に転じており、三兄弟での調教師となった。
[[1979年]]、[[栗東トレーニングセンター]]に厩舎を開業。
[[1985年]]、管理馬スピードヒーローが[[神戸新聞杯]]を制し、[[重賞]]を初勝利。当年は年間で31勝を挙げ、勝利度数ランキングで全国6位(関西4位)、さらに翌年には重賞1勝を含む32勝を挙げ、全国3位(関西同)という成績を収めた。その後は年間勝利数では15勝前後の成績に落ち着いたが、安定して重賞勝利を続け、1990年には[[イブキマイカグラ]]が[[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳ステークス]]を制してGI級競走を初制覇した。1996年には自己最高の33勝を挙げて11年ぶりに全国10傑(7位)に入り、2003年には弟子の[[常石勝義]]が騎乗した[[ビッグテースト]]が[[中山グランドジャンプ]]を制し、13年ぶりのGI競走優勝を果たした。また同年には[[ビッグウルフ]]が地方競馬主催の[[ダートグレード競走|統一GI競走]]の[[ジャパンダートダービー]]も制覇し、当年GI級競走2勝を含む重賞5勝を挙げた。2007年8月にはJRA通算500勝を達成している。
2009年2月28日付で、70歳の定年で調教師を引退した。通算6208戦525勝(数字中央のみ)、うち重賞28勝(地方3勝含む)。謙太郎、銑治も調教師としてGI級競走を制している。
▲[[1979年]]、厩舎を開業。[[10月6日]]、初出走となった[[中京競馬場]]での第7レースは、ビューテイジンクが4着となる。[[11月3日]]に[[阪神競馬場]]での第6レースでトクシンレディーが勝利し延べ8頭目で初勝利を挙げる。
== 成績 ==
{| class="wikitable"
!通算成績!!1着!!2着!!3着!!4着以下!!出走回数!!勝率!![[連対率]]
|-
!平地
|style="text-align: right;"|508
|style="text-align: right;"|521
|style="text-align: right;"|532
|style="text-align: right;"|4,446
|style="text-align: right;"|6,007
|style="text-align: right;"|.085
|style="text-align: right;"|.171
|-
!障害
|style="text-align: right;"|17
|style="text-align: right;"|28
|style="text-align: right;"|21
|style="text-align: right;"|135
|style="text-align: right;"|201
|style="text-align: right;"|.085
|style="text-align: right;"|.224
|-
!計
|style="text-align: right;"|525
|style="text-align: right;"|549
|style="text-align: right;"|553
|style="text-align: right;"|4,581
|style="text-align: right;"|6,208
|style="text-align: right;"|.085
|style="text-align: right;"|.173
|}
※数字は中央競馬成績のみ
=== 主な管理馬 ===▼
※括弧内は管理馬の優勝重賞競走、'''太字'''はGI級競走。
▲[[2009年]][[2月28日]]付で定年により調教師を引退。
▲== 主な管理馬 ==
*スピードヒーロー(1985年[[神戸新聞杯]])
*シングルロマン(1986年[[京阪杯]])
*コンサートマスター(1987年[[マイラーズカップ]])
*ミスターボーイ(1987年[[セントウルステークス]]、1988年マイラーズカップ)
*[[イブキマイカグラ]](1990年'''[[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳ステークス]]
*[[オースミロッチ]](1992年[[京都記念]]、[[京都大賞典]])
*ビッグショウリ(1995年マイラーズカップ)
*ビッグバイアモン(1996年[[ラジオNIKKEI賞|ラジオたんぱ賞]])
*[[ビッグサンデー]](1997年[[スプリングステークス]]
*タケイチケントウ(1997年[[小倉2歳ステークス|小倉3歳ステークス]])
*[[オースミブライト]]
*ビッグゴールド(2001年[[中山金杯]]
*[[オースミコスモ]]
*[[ビッグテースト]](2003年'''[[中山グランドジャンプ]]''')
*[[ビッグウルフ]](2003年[[兵庫チャンピオンシップ]]、[[東海ダービー|名古屋優駿]]、'''[[ジャパンダートダービー]]''')
*[[オースミダイドウ]](2006年[[デイリー杯2歳ステークス]])
*[[マルブツイースター]](2007年[[小倉2歳ステークス]])
==
*[[松本達也]]
*[[
*[[
== 関連項目 ==
*[[競馬の調教師一覧]]
== 参考文献 ==
*木村幸治『調教師物語』(洋泉社、1997年)ISBN 978-4896912920
{{DEFAULTSORT:なかお たたし}}
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[[Category:1938年生]]
[[Category:京都府出身の人物]]
[[Category:存命人物]]
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