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{{クラシック音楽}}
'''ハインツ・ティーセン'''
[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]](現在の[[カリーニングラード]])出身。[[ベルリン大学]]とベルリン市立音楽院に入学し、
作品には2つの[[交響曲]]、[[劇付随音楽]]、[[管弦楽曲]]、[[室内楽曲]]、ピアノ曲、オルガン曲、[[歌曲]]、合唱曲などがある。初期の作品は[[リヒャルト・シュトラウス]]の影響が色濃いが、1918年以降は[[表現主義]]に傾斜していった。
==作品==
* 交響曲第1番(1910年 -
* 交響曲第2番「死してなれ」(1911年 -
* ハムレット組曲(1919年 -
* ピアノのための3つの小品
* 舞踊劇「サランボー」
* ピアノと管弦楽のための協奏的変奏曲
==エピソード==
* [[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]の首席指揮者のポストが[[レオ・ボルヒャルト]]の事故死により空席となったとき、チェリビダッケにオーディションを受けるよう勧めたの
* またベルリン・フィルを指揮して得意の絶頂にあったチェリビダッケに「効果だけを狙いすぎている」と苦言を呈し、それがきっかけでチェリビダッケは[[ゲオルク・フィリップ・テレマン|テレマン]]の『[[ターフェルムジーク]]』などのシンプルな形の音楽から勉強をやり直した、と語っている。一匹狼のチェリビダッケさえも言うことを聞かせる、というところにその人格者ぶりがうかがえる。
* 名前が、同時代の[[バイロイト音楽祭|バイロイト]]の実力者[[ハインツ・ティーチェン]]と似ているが、全く別人である。
{{DEFAULTSORT:ていいせん はいんつ}}
[[Category:ドイツの作曲家]]
[[Category:近現代の作曲家]]
[[Category:ケーニヒスベルク出身の人物]]
[[Category:1887年生]]
[[Category:1971年没]]
{{classic-stub}}
[[de:Heinz Tiessen]]
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