「スフヤーン・マーヒル・ハサン・アッ=ティクリーティー」の版間の差分

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アメリカのニュースサイト「World Tribune.com」によれば、スフヤーンが、アドナーン師団の兵士に戦闘を止めて、帰宅するよう命じたと伝えた。また、CIAからの要請により、ティグリス川に掛かる橋の爆破命令を意図的に無視したとも報じられた。
 
一方、米軍はスフヤーンとの協力関係を否定しており、どこまでが真実かは不明である。
 
その後、スフヤーンの消息についても様々な報道・発表がなされた。4月8日、スフヤーンは以上の対米協力の見返りとして、現金を受け取り、バグダード国際空港から20人の側近と共に民間機で国外に移住したと報じられた。しかし、空港から飛びだったと言われる4月8日に、米[[海兵隊]]はスフヤーンが海兵隊の銃撃で死亡したと発表。あるいは4月9日の「ナイトリッダー」紙の報道で、海兵隊員の証言として、スフヤーンが、白いセダン車の中で運転手一人と共に、軍服を着て死んでいたと報じた。これは、スフヤーンが国外に出国したことを隠すためのカムフラージュとして、米軍が偽の発表を行ったものと思われた。
 
一方、米軍はスフヤーンとの協力関係を否定しており、どこまでが真実かは不明である。フセイン政権下で情報相を務めた[[ムハンマド・サイード・アル=サハフ|ムハンマド・サイード・アッ=サッハーフ]]は、03年9月18日に放送されたアブダビ・テレビの『サッハーフの戦争」という番組内で、スフヤーンが米軍のスパイであったことを否定している。
実際は、フセイン政権崩壊後にスフヤーンは、故郷である[[ティクリート]]に戻っていたというのが真相である。
 
実際はその後フセイン政権崩壊後にスフヤーンがイラク国外にで無く、故郷である[[ティクリート]]に戻っていたいうの真相である明らかにされた
 
== 拘束〜裁判 ==