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[[1956年]]10月21日、ゴムウカはポーランド統一労働者党の指導者的地位に当たる第一書記という役職に選出される。[[ワルシャワ条約機構]]の影響下の中、これの保持に尽力する一方、自主的な路線に政策を推し進めることを約束した。
結果的に第二次世界大戦後、東欧を支配していた[[スターリン主義]]的な風潮を、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和などの改革を行う事によって解消することに貢献した。当初それを民衆は歓迎した。しかし、やがて政策が行き詰まり、カトリック教会との軋轢が日増しに増大し、日を追う事に活発化、過激化する民衆による自由化を求める運動を危険なものと判断して弾圧する
1972年まで議会(セイム)代議員だった。1982年9月1日死去。{{没年齢|1905|2|6|1982|9|1}}。
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