「妹背山婦女庭訓」の版間の差分

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== 概略 ==
*今日上演されるのは『山(吉野川)』『道行』『三笠山御殿』が多い。古代を舞台にし、天の岩戸・十三鐘・絹懸柳などの神話伝説をモチーフにしている点、とりわけ入鹿を恐るべき怪物にし、その弱点を求めて善玉が活躍するという現代のファンタジーアクションに通じる構成は、他の浄瑠璃作品と比べ極めて異色。[[戸板康二]]はこれを評して「[[リヒャルト・ワーグナー|ワグネル]]の[[楽劇]]のような大規模でロマンテイックな着想がある」といった。実際に、本作が[[西欧]]に初めて紹介されると、これに感化された[[フランス]]の作曲家[[ジャーコモ・マイアーベーア|ジャコモ・マイヤベーア]]は『盲目の皇帝』という[[オペラ]]を作ることを模索したという逸話がある。
 
*1862年[[シーボルト]]は江戸に向かう途中、大阪中芝居で「妹背山」を観劇している。その後フランス皇帝[[ナポレオン3世]]に謁見した際、パリで[[アルフォンス・ドーデ]]に「盲目のミカド」の題で「妹背山」の筋を教え、さらにマイヤベーヤに伝わった。
=== 山の段 ===
両花道を大判事と定高が歩き、途中で声を掛け合うのが、これは川を隔てて会話する演出で、観客席が川という卓抜な演出である。舞台は満開の桜に雛祭りの飾り付けという絢爛たるもので、悲劇性が強調される。双方の親が子を手にかけ手真似で知らせたり、雛鳥の首を雛祭りの道具の乗せて定高が川に流し、大判事が弓で受け取る場面は悲壮感溢れる名場面である。