「四十日抗争」の版間の差分

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==経緯==
=== 衆院選での敗北 ===
[[第35回衆議院議員総選挙|昭和5454年の衆院選]]で自民党は248議席しか獲得できず<ref>『大平正芳』 249頁。</ref>、前回、[[第34回衆議院議員総選挙|1976年の衆院選]]の獲得議席249議席を下回った。昭和5151年当時[[自由民主党総裁|党総裁]]だった[[三木武夫]]は選挙結果を受け辞任に追い込まれており、当然のごとく[[大平正芳]]総裁への責任を問う声が上がった<ref name="oohira">『大平正芳』 251頁。</ref>。
 
しかし、大平は、[[田中角栄]]の支えもあり、続投を表明<ref>『大平正芳』 250頁。</ref>。そのため、大平政権下で反主流派となっていた[[清和会|福田派]]・[[政策科学研究所 (派閥)|中曽根派]]・[[番町政策研究所|三木派]]・[[自由革新同友会|中川グループ]]は辞任要求を強めた<ref name="oohira"/>。主流派の[[宏池会|大平派]]と[[木曜クラブ|田中派]]は[[中道|中道政党]]との[[連立政権]]を模索し、反主流派は最終手段として自民離党、新党結成を画策するなど、党内は修復不可能なまでに分裂した。