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== 経歴 ==
[[枢密使]]の[[蕭恵]]の娘として生まれた。容姿に飛び抜けて優れ、詩を得意とし、談論をよくした。歌詞を自作し、[[琵琶]]を最も得意とした。[[重熙]]年間、燕趙王[[道宗 (遼)|耶律洪基]](のちの道宗、従兄にあたる[[興宗 (遼)|興宗]]と従姉にあたる[[仁懿蕭皇后]]の子)に迎えられ、王妃となった。
 
[[清寧]]元年([[1055年]])、皇后に立てられた。2年([[1056年]])11月、懿徳皇后と号した。あるとき皇太叔[[耶律重元]]の妻がなまめかしく化粧して自慢していると、皇后はこれを見て「貴家の婦となり、何ぞ必ずや此の如くならん」と戒めた。