「GLA (宗教法人)」の版間の差分
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== 沿革 ==
当時は、
1969年4月に「大宇宙神光会」が発足した。1970年12月には、国際化を考慮して
会名を「GLA」に変更した。<ref name="sinshukyojidai2">清水雅人 編『新宗教時代2』大蔵出版、1994年12月、ISBN 978-4804352074</ref>。▼
なお、信次は、1971年10月より、当時の仏教系新宗教・霊友会系分派教団の「宗教法人瑞宝会」(信者約3万6千人)
<ref name="sinshukyojidai2"/>。
1976年、高橋信次は、自らが真のメシヤ「エル・ランティ」(霊太陽、天上界の最高責任者とも)
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信次と若い新参者の佳子に対して、周辺にいた者に、猜疑心や不信感、嫉妬心や対抗意識などの荒みが
出ていたということである。その後、信次の健康状態の悪化に伴い、佳子は信次の代理として講演活動を
行うようになり<ref name="sinshukyojidai2"/>、信次の死去に伴い当時19歳の佳子が法の継承者になった。
信次は生前、佳子に対して、「自分は今の日本人が解りやすいように主として仏教的な説き方をしたが、これでは神理は世界に伝わらない。
佳子は新しい言葉で語りなさい」と言い、
関西における講演会にて実際に佳子が自分の言葉で講演したことを東京にいながら感じ、大いに喜んだという
<ref name="sinshukyojidai2"/>
▲<ref name="sinshukyojidai2">清水雅人 編『新宗教時代2』大蔵出版、1994年12月、ISBN 978-4804352074</ref>。
GLAの会員数は、1976年6月(高橋信次の死亡時)9千人弱
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