「福生七夕まつり」の版間の差分

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[[1967年]]に初日以外は[[大雨]]にたたられたことが契機となって、[[1968年]]から[[梅雨]]を避けて[[夏休み]]中の[[8月]]に開催されるようになる。 福生町が市に昇格した[[1971年]]から祭りの主導権を[[市]]が握るようになり、実行委員会の事務局は[[市役所]]内に置かれるようになった。[[1974年]]、「[[ミス]]福生[[ミス・コンテスト|コンテスト]]」が誕生し、[[1977年]]には「ミス七夕コンテスト」(現「[[織姫]]コンテスト」)と名を改め、毎年ミス1人、準ミス2人の計3人を選ぶようになる。
 
40年も続いた[[屋台|露店]](多くは[[テキヤ]])が[[暴力団]]との関連から[[1993年]]に[[警視庁|警察]]の指導もあって祭りから締め出され、変わって[[市民]]の[[模擬店]]が出店されるようになった。模擬店会場を「ギャラクシー・ストリート([[天の川]]通り)」と命名し、2000年には「福生七夕[[音頭]]」も生まれた。
 
商店街の衰退とともにここ数年寂しくなった七夕飾りに、2010年は市の[[補助金]]が出され、第60回七夕まつり記念、[[市制]]施行40周年記念ということで11年ぶりに[[花火大会]]も復活し、空前の人出でにぎわった。商店街振興のために始められた七夕まつりではあるが、市民模擬店の出店を契機に、次第に市民の祭りとしての色合いを深めている。