「フランク・ザッパ」の版間の差分

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ヴォーカル・オリエンテッドなロック、ジャズ・ロック、ブラック・ミュージック、フュージョン、パンク、ファンクと、70年代の音楽性は幾度も変遷を繰り返した。まず70年代のザッパは『[[チャンガの復讐]]』で幕を開ける。オリジナル・マザーズが解散した後、元タートルズ([[:en:Turtles]])のフロー&エディを加えた新・マザーズは後述の事件まで存続し、60年代よりはややポップ寄りのアプローチを見せている。20分を超える大曲「ビリー・ザ・マウンテン」を収録した『[[ジャスト・アナザー・バンド・フロム L.A.]]』(1972年)は、当時の布陣による一つの音楽的成果と言える。同時期には並行して(実際の)映画音楽に着手、[[リンゴ・スター]]がザッパ役をこなした映画のサウンドトラック『200 Motels』(1971年)を発表している。
 
[[1971年]][[12月]]、[[モントルー]]の[[カジノ]]でライブを行っていた際、観客の一人が会場の天井に向けて[[信号拳銃|フレア・ガン]]を発射して火災事故が起こり、ザッパとマザーズはその機材すべてを失った。レマン湖の対岸でそれを目撃していた[[ディープ・パープル]]の、代表曲「[[スモーク・オン・ザ・ウォーター]]」にこのエピソードが引用されている。
ショウが始まって1時間過ぎた頃に'''「フレア・ガンを持ったいかれた野郎」'''(原詩"Some stupid with a flare gun")が天井に向かって銃を発射。天井は竹で出来ていたので火はあっという間に広がり、十数時間以上燃え続けたが、[[クロード・ノブス]]<ref>モントルー・ジャズ・フェスティバルの創始者。ワーナー・ブラザーズの連絡係りも務めていた。</ref>の必死の尽力で負傷者は出なかった。