「ジェネシス (バンド)」の版間の差分

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[[1970年]]、2作目の「侵入 - Trespass」リリース後、アンソニー・フィリップスが健康上の理由で脱退(一説にはステージ恐怖症だった)。
初期のサウンドはアンソニー・フィリップスの力量によるところが大きかった。彼の代わりに[[クワイエット・ワールド]](Quiet World)のメンバーであった[[スティー・ハケット]]が加入する。
 
3作目にあたる「怪奇骨董音楽箱 - Nursery Cryme」([[1971年]])で[[プログレッシブ・ロック|プログレッシブロック]]バンドとしての評価を確立。ピーター・ガブリエルの演劇性をもった独特のステージパフォーマンスもあって、[[ヨーロッパ]]で大人気となる。[[1975年]]、ピーター・ガブリエルが「幻惑のブロードウェイ(The Lamb Lies Down On Broadway)」ツアーの後に脱退、以降はソロとして活動している。
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その後は、3作目以降の[[ドラマー]]であった[[フィル・コリンズ]]が[[ボーカル]]も担当し、よりリズムを強調した新しいプログレサウンドに変化する(フィル・コリンズがボーカルをとることにより、[[ドラム]]担当としてビル・ブラッフォードが一時的に加入してライブ活動に加わったりしたが、それ以降はチェスター・トンプソンが準レギュラーとしてグループに参加している)。
 
さらに、[[ギタリスト]]の[[スティー・ハケット]]脱退後は、[[ベーシスト]]のマイク・ラザフォードが[[ギター]]も担当するというトリオ編成となった(ステージではダリル・ステューマーが準レギュラー参加し、ギターとベースを兼任)。3人でレコーディングした「そして3人が残った - And Then There Were Three ([[1978年]])」では、それまでよりポップス色を深め、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]での人気を不動のものとする。その後、[[1986年]]の「インヴィジブル・タッチ - Invisible Touch 」は世界的大ヒットとなり、アルバムタイトル曲はバンドとして最初で最後の全米NO.1ヒットとなった。
 
フィル・コリンズの脱退後、無名のボーカリスト、レイ・ウイルソンを迎え、[[1997年]]に「コーリング・オール・ステーションズ(Calling All Stations)」を発表する。イギリス本国やヨーロッパでは好評だったが、アメリカでのセールスに恵まれず、その後は活動を停止している。