「藤堂高兌」の版間の差分

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| 父母 = 父:[[藤堂高嶷]]、母:今津氏
| 兄弟 = [[藤堂高崧|高崧]]、'''[[藤堂高兌|高兌]]'''、[[藤堂高邁|高邁]]、[[藤堂高允|高允]]、[[木下利徳]]<br/>[[藤堂高愨|高愨]]、[[藤堂高驤|高驤]]、[[藤堂高ヤツ|高秭]]<br/>娘([[山内豊策]]正室)<br/>娘([[清水谷実揖]]室のち[[遠藤胤統]]継室)<br/>娘([[松平康乂]]正室)<br/>娘([[藤堂高茂]]室のち[[藤堂高謨]]室)<br/>娘([[藤堂長教]]室)、娘([[一柳末周]]正室)<br/>娘([[大沢基栄]]室)
| 妻 = 正室:愛川氏([[永井直進]]娘
| 子 = '''[[藤堂高猷|高猷]]'''、[[中川久昭]]、[[藤堂高美|高美]]<br/>娘([[稲葉正守]]正室)
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高兌は[[江戸時代]]後期の[[名君]]の一人である。当時、44歳は若いとは言えないが、彼がもし長命だったなら、藩の行く末は大いに変わっいたと考えられる。しかし彼の後を継いだ高猷はあまり優れた人物とは言えず、津藩の財政は高兌の死後、再び悪化していった。
 
==関連項目==
* [[藤堂氏]]
* [[津藩]]
 
{{先代次代|[[藤堂氏|藤堂家当主]]|第18代:1806年 - 1824年<br/>藤堂高兌|[[藤堂高嶷]]|[[藤堂高猷]]}}