「ハンガリーの歴史」の版間の差分

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== 概史 ==
=== 建国まで ===
この地域は、1世紀には[[ローマ帝国]]が[[属州]][[パンノニア]]を置いた。4世紀にローマ帝国が衰退し、[[ゲルマン人]]の移動が始まると、この地に[[ゴート族]]が到来した。その後、[[ドナウ川]]中流の良質の平原に着目して、5世紀に[[フン族]]、6世紀に[[アヴァール|アヴァール人]]などアジア系遊牧民の勢力がそれぞれ到来し定着した。
 
9世紀になると[[ウラル山脈]]周辺からアジア系遊牧民、[[マジャル人]]が[[黒海]]北岸を経由して、この地に移住してきた。マジャル人は[[パンノニア平原]]を根拠とし、ヨーロッパ各地を騎馬で蹂躙し、同時期の海の[[ヴァイキング]]とともに怖れられた。しかし、[[955年]]の[[レッヒフェルトの戦い]]で[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]に敗れると、パンノニア平原に統一王国建設を開始した。