「トレビュシェット」の版間の差分

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'''トレビュシェット'''(平衡錘投石機)は固定式の攻城用[[兵器]]の一種。巨大な錘の位置エネルギーを利用して石を投げる。攻城用の投擲兵器としては後発にあたる。大型で威力と安全性に信頼の置ける[[火砲]]が出現するまで利用された。
 
一説によると[[アルキメデス]]が発明したと伝えられてう伝説も伝わる。[[シラクサ]]に侵攻した[[古代ローマ]]軍をアルキメデスの発明した新兵器が撃退したという逸話、そしてアルキメデスが[[てこ]]の原理を発見している事が根拠とされるが、その後の歴史を見るに信憑性は乏しい。現在では13世紀の[[西アジア]]のあたりで発明されたという説が有力である。
 
動物の腱などの弾力を利用する[[バリスタ (兵器)|バリスタ]]などの他の投擲兵器と違い、岩石などを詰めた箱の重量を利用するので、大きく造ればそれだけ威力が増した。また、詰め物の重量を変えることで射撃距離を自由に調整でき、精度も高かった。この投石器は最大のものは140[[キログラム]]の石を最大300[[メートル]]も飛ばすことができた。石のほか、[[伝染病]]が当該地域に蔓延することを狙って、人や牛の死骸を目標に投下することもあった。また、小型の物や原型となった'''マンゴネル'''は錘ではなく人力で投擲し、その際は竿にかけた何本かの紐を複数の人間が同時に引く事で投擲した。
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良く似た兵器として[[カタパルト (投石機)|カタパルト]]がある。こちらは威力や射程はトレビュシェットには劣ってはいたが移動できたので、トレビュシェットの登場後も併用して用いられた。
 
中国においては、[[三国時代 (中国)|三国時代]]に[[霹靂車]]と呼ばれた投石機が発明されていた(ただしこれも同時代の資料が無く信憑性に乏しい)が、人力によるものであった。[[元 (王朝)|元]]軍による[[南宋]]の都市[[襄陽]]の包囲攻撃の際にトレビュシェットが導入された。[[ペルシア]]から来た[[回教徒]]の技術者により導入され使用されたので、'''襄陽砲'''もしくは'''回回砲'''と呼ばれる。霹靂車の石弾の投射能力が48kgが限界だったのに対し、襄陽砲は89kgの石弾の投射能力があった。
 
== 関連項目 ==