削除された内容 追加された内容
MUSASHI (会話 | 投稿記録)
発掘調査
MUSASHI (会話 | 投稿記録)
出典
29行目:
 
== 発掘調査 ==
なお、近年まで「幻の都」とされていたが、{{和暦|1954}}より、高校教員であった[[中山修一]](後、[[京都文教短期大学]]教授)を中心として発掘が開始され、翌{{和暦|1955}}、[[大内裏]][[朝堂院]]の門跡が発見されたのを皮切りとして、1962年(昭和37年)[[大極殿]]<ref>複廊によって囲われ、背後には後殿が独立している。</ref><ref group="出典" name="nagaoka">山中章「長岡宮跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 34-35ページ</ref>跡が発見され、今日までにかなり発掘調査が進み(当該地域で急速な宅地化、工業地化が進み、緊急調査を強いられ続けた側面もある)、{{和暦|1964}}に国の[[史跡]]に指定された。1967年(昭和42年)内裏内郭築地(ついじ)回廊北西部が確認され、1979年(昭和54年)内裏南方の重要官衙の存在を証明する遺構として大規模な築地塀が発見された。
 
発掘の結果わかったことは次の通りである。
39行目:
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 出典 ==
<references group="出典"/>
 
==関連項目==