「大名県」の版間の差分

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[[五代十国時代]]になると、[[948年]]([[同光]]元年)、[[後唐]]により'''広晋県'''とされ[[広晋府]]府治とされた。[[948年]]([[乾祐]]元年)には[[後漢 (五代)|後漢]]により'''大名県'''と改称され[[大名府]]府治とされている。
 
[[宋 (王朝)|宋代]]になると、「四京」の一つとして[[副都]]でもある大名府(北京大名府とも)が設置され大名県はその府治とされた。大名府は[[河北東路]]の首府でもあり、[[燕雲十六州]]を支配下に置く[[遼|遼朝]]対抗する軍事的要衝として重要視された。同時代を舞台にした『[[水滸伝]]』では、北京大名府は[[盧俊義]]や[[燕青]]などの登場人物が暮らす大都会として描写されている。大名県は[[1073年]]([[熙寧]]6年)に廃止され[[元城県]]に編入されたが、[[1096年]]([[紹聖]]3年)に再設置されている。
 
その後[[金 (王朝)|金]]が[[華北]]全域を支配するようになると、国境の軍事拠点としての大名府の重要性は失われたが、[[元 (王朝)|元代]]には[[大名路]]路治、[[明|明]][[清|清代]]には[[大名府]]府治とされた。明代の[[1377年]](洪武10年)に大名県は廃止となり[[魏県]]に編入されているが、[[1382年]](洪武15年)に再設置され、現在に至る。
 
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