「カール・ハプスブルク=ロートリンゲン」の版間の差分

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父オットーは[[ドイツ]]選出の[[欧州議会]]議員であったが([[1999年]]まで)、カールは[[1996年]]にオーストリアで欧州議会議員に選ばれた([[オーストリア国民党]]所属)。
 
== 家族 ==
妻フランシスカ・ティッセン=ボルネミッサとの間に、長女エレオノーレ、長男フェルディナントの2子をもうけており、フェルディナントが[[ハプスブルク=ロートリンゲン家]]家長の[[推定相続人]]である。フランシスカは王家や旧王家、あるいはそれに準じる古い大貴族の出身ではなく男爵の令嬢であり、かつてのハプスブルク家家法の基準では[[貴賤結婚]]に相当する結婚であったが、父オットーが1980年代に基準を緩和していたことから、1993年にカールとフランシスカが結婚した際にもフランシスカや子供たちの権利が制限されることはなかった。
妻フランシスカ・ティッセン=ボルネミッサとの間に1男2女をもうけている。
*エレオノーレ(1994年 - )
*フェルディナント(1997年 - )
*グロリア(1999年 - )
妻フランシスカ・ティッセン=ボルネミッサとの間に、長女エレオノーレ、長男フェルディナントの2子をもうけており、フェルディナントが[[ハプスブルク=ロートリンゲン家]]家長の[[推定相続人]]である。フランシスカは王家や旧王家、あるいはそれに準じる古い大貴族の出身ではなく男爵の令嬢であり、かつてのハプスブルク家家法の基準では[[貴賤結婚]]に相当する結婚であった。しかし、父オットーが1980年代に基準を緩和していたことから、1993年にカールとフランシスカが結婚した際にもフランシスカや子供たちの権利が制限されることはなかった。そのため、フェルディナントは[[ハプスブルク=ロートリンゲン家]]家長の[[推定相続人]]である
 
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