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'''源 師時'''(みなもと の もろとき、[[承暦]]元年([[1077年]]) - [[保延]]2年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]([[1136年]][[5月8日]]))は、[[平安時代]]後期の[[公卿]]・[[歌人]]。[[村上源氏]][[左大臣]][[源俊房]]の次男。[[官位]]は[[正三位]]・[[中納言|権中納言]]。
 
== 経歴 ==
[[白河上皇]]・[[鳥羽上皇]]に信任された。師時が鳥羽殿の池を掘ったことについて[[今鏡正三位]]』『[[長秋記中納言|権中納言]]記されている。
 
== 人物 ==
詩歌に優れ、[[和歌]]では『[[金葉和歌集]]』に4(5、『)以下の[[千載勅撰和歌集]]320が入集<ref>[[新古今和歌集]]勅撰作者部類に1首入集</ref>、また兄[[源師頼]]とともに『[[堀河百首]]』の詠み手の一人である。[[漢詩]]においても師である[[大江匡房]]から「この君は、詩の心得て、よく作り給ふ」『今鏡』<ref name="a" />と賞賛されている。
 
また、作庭をよくし、鳥羽殿の[[庭園]]の造営を手がけたという<ref name="a" /><ref>『長秋記』</ref>。
妻を6-7人持ち、毎晩のようにそれぞれの妻の所へ一晩中渡り歩き、[[正午]]頃まで朝寝をしていたこと。また妻同士も仲が良く、言葉を交わして交際していたという逸話がある(『今鏡』)。
 
[[日記]]として『長秋記』がある。
 
== 逸話 ==
妻を6-7人持ち、毎晩のようにそれぞれの妻の所へ一晩中渡り歩き、[[正午]]頃まで朝寝をしていたこと。また妻同士も仲が良く、言葉を交わして交際していたという逸話がある(<ref name="a">[[今鏡]]村上の源氏,堀河の流れ</ref>
 
== 系譜 ==