「紗那郡」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
歴史は全島ほぼ同じ(コピーペースト)なので、参照でまとめました。 |
||
12行目:
当該地域の領有権に関する詳細は[[千島列島]]及び[[北方領土]]の項目を見よ。
==
[[択捉島]]北東部に位置し、東は[[蘂取郡]]、西は[[振別郡]]に接しており、当初は択捉島5郡中で最も面積が広かった。
中心集落は紗那で、村役場のほか裁判所の登記所もおかれた。また、紗那川の河口には択捉漁業の大規模な缶詰工場が建設され<ref>[http://www.chishima.or.jp/pdf/map/etorofu/23.pdf 紗那(1)(しゃな)] 北方四島居住地図 千島歯舞諸島居住者連盟</ref>るなど、散布半島東岸の別飛もあわせ明治期の択捉島では最も栄えた地域だった。
昭和15年の国勢調査では、267世帯1,426人(男891人、女535人)<ref>[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_pdfDownload_&fileId=000003730478&releaseCount=1 世帯および男女別人口(全人口)-全国,道府県,郡,市区町村 ]昭和15年国勢調査 政府統計の総合窓口</ref>を数えている。
:''紗那郡成立以前の歴史については、[[択捉島#歴史|択捉島の歴史]]を参照''
* [[1869年]]([[明治]]2年)8月15日 [[北海道 (令制)|北海道11国]]が置かれ、千島国[[択捉郡]]が成立。
[[紗那村]](しゃな)、[[有萌村]](ありもい)、[[別飛村]](べっとぶ)、[[留別村]](るべつ)で構成された(4村)
* [[1879年]](明治12年) 郡区編成により、択捉島全島を所轄する「振別択捉紗那蘂取[[郡役所]]」の所轄となる
* [[1882年]](明治15年)2月8日 [[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]にともない[[根室県]]の所管となる
* [[1886年]](明治19年) 留別村をのぞき、[[紗那村]]におかれた[[戸長役場]]の所轄となっていた<ref>[http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992095/2 地方行政区画便覧] 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館</ref>
** その後、郡役所庁舎が紗那村に移転してくる
* [[1897年]](明治30年)11月5日 [[支庁]]制度が導入され、千島国から[[紗那支庁]]となり、郡役所も廃止
27 ⟶ 30行目:
: 紗那村、有萌村、別飛村が合併し紗那村が成立し、1郡1村となる
* [[1945年]]([[昭和20年]])9月2日 日本政府が[[降伏文書]]に調印、同時に一般命令第1号により、ソ連占領下となる
* [[2010年]]([[平成]]22年)4月1日 「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例(平成21年3月31日公布)」<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/2298A6CA-AF54-4070-8362-66598BA54449/0/1005jourei.pdf 北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例] 支庁制度改革
== 参考資料 ==
<references/>
{{北方領土における日本側の行政区分}}
|