「不知火光右衛門」の版間の差分

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同郷の先代[[不知火諾右衛門|不知火(諾)]]の弟子となり、[[大坂相撲]]で修行する。のちに江戸へ出て境川門下となる。殿(しんが)り峯五郎の[[四股名]]で[[1850年|嘉永3年]]11月場所に二段目付け出しで初土俵を踏む。[[肥後]][[細川氏|細川]]候のお抱えとなって[[1856年|安政3年]]11月入幕。翌年に不知火光右衛門と改名。[[1862年|文久2年]]2月大関昇進。翌年3月に[[横綱]]免許を受けた。晩年は古巣の大坂相撲に戻って、下の名を諾右衛門と改めて土俵入りのみを務めた。[[年寄]]としての初代[[不知火 (年寄名跡)|不知火]]である。
 
同期の横綱[[陣幕久五郎]]とは平幕からの対戦で13敗2[[引分 (相撲)|引分]]と苦手にしていた。
 
==現役時の戦績==