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=== 近代 ===
オルデラッフィ家の最も知られる人物は、1466年から1480年までフォルリのシニョーリであったピーノ3世オルデラッフィ([[:en:Pino III Ordelaffi|Pino III]])である。ピーノは無慈悲な人物であった。自身が新たな市壁と建築物を建て市を富ませ、芸術の後援者であったにもかかわらずである。彼は40歳になったばかりで毒殺された。そのときからフォルリの立場は偶発的に起こるオルデラッフィ家の他者との戦いで弱体化していき、教皇[[シクストゥス4世 (ローマ教皇)|シクストゥス4世]]が新たなシニョーリに実の甥ジローラモ・リアーリオ([[:en:
長期間にわたる歴史上のフォルリの不在は、1796年6月に終わる。[[フランス革命|フランス革命軍]]が市に入城し、1797年2月7日には[[ナポレオン]]がこの地にやってきた。19世紀、フォルリはイタリア統合の争いに一役買った。[[ピエロ・マロンチェッリ]]と[[アウレリーオ・サッフィ]]([[:en:Aurelio Saffi]])がフォルリで生まれている。
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