「スッタニパータ」の版間の差分

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'''スッタ'''は縦糸を意味し、漢訳では'''[[経]]'''と表現される。中国における経も縦糸という意味である。'''ニパータ'''は、集り。あわせて経集となる。
 
==日本への伝来==
日本では岩波文庫から仏教学者・[[中村元 (哲学者)|中村元]]によって「ブッダのことば」として邦訳され、同じく「真理のことば」として訳されたダンマパダとともに、広く愛好されている。しかし、[[ダンマパダ]]は初学者が学ぶ、入門用テキストであるのに対し、スッタニパータはかなり高度な内容を含んでいるため、必ずしも一般向けではない。
スッタニパータは、日本に漢訳仏典として伝来することはなかった。
 
最初の和訳は、仏教学者・[[中村元 (哲学者)|中村元]]によってなされた。
岩波文庫から「ブッダのことば」として邦訳された。また同じく原始仏典のダンマパダは「真理のことば」として訳された。(なお、ダンマパダは漢訳仏典[[法句経]]として伝来している)
 
==内容==
日本では岩波文庫から仏教学者・[[中村元 (哲学者)|中村元]]によって「ブッダのことば」として邦訳され、同じく「真理のことば」として訳されたダンマパダとともに、広く愛好されている。しかし、[[ダンマパダ]]は初学者が学ぶ、入門用テキストであるのに対し、スッタニパータはかなり高度な内容を含んでいるため、必ずしも一般向けではない。
 
また、上座部の僧侶の説法において、ダンマパダによる言葉が多くみられるのに対して、スッタニパータが引用されることはあまりない。
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有名な「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズは、かなりの程度、修行の進んだ者に向けて語られたものである。
 
 
南方の上座部仏教圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
 
 
 
==成立==
最初期に編纂された最古の仏典のひとつとされ、対応する漢訳は一部を除いて存在しない。(第4章『八つの詩句』/支謙訳:仏説義足経)現代では日本語訳として『'''[[南伝大蔵経]]'''』の中におさめられている。ただし、『スッタニパータ』の中にも、新旧の編纂のあとが見られ、パーリ語の文法に対応しない東部マガダ語とみられる用語が含まれていることから仏典の中でも最古層に位置づけられている。
 
また『スッタニパータ』の注釈書として『ニッデーサ』(義釈)が伝えられているが、『スッタニパータ』と『ニッデーサ』は、それぞれ別の経典として伝えられ、文献学的には、『スッタニパータ』と同時代に成立したと考えられている。『スッタニパータ』の第4章と第5章のそれぞれに大義釈と小義釈が存在することから、この部分がもっとも古く、元は独立した経典だったと考えられている。
 
南方の上座部仏教圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
 
== 参考文献 ==