「ボルシェビーク (製菓)」の版間の差分

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'''製菓工場ボルシェビク'''(ロシア語:{{lang|ru|Кондитерская фабрика «Большевик»}})は、[[モスクワ]]市内にあった、かつての[[ソビエト連邦|ソ連]]最大の国営菓子メーカー。本社は[[モスクワ]]市にあり、[[ケーキ]]、[[クッキー]]など小麦粉を原料とする菓子を製造した。'''モスクワ製菓工場ボルシェビク'''({{lang|ru|Московская кондитерская фабрика «Большевик»}})としても知られた。[[1994年]]に'''株式公開会社ボルシェビク'''({{lang|ru|Открытое Акционерное общество «Большевик»}})として民営化した。現在ロシア国内の包装[[ビスケット]]([[クッキー]])製品の約4割を生産している。
 
==概要==
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[[1924年]]の[[十月革命]]後、[[レーニン]]署名の命令書でA・スー&K社は国有化され、革命における労働者の貢献を記念して社名を「[[ボルシェビキ|ボルシェビク]]」に改名した。[[1927年]]に化粧品など菓子製造事業を除く全事業が切り離され、小麦粉菓子の専業メーカーに改組。戦後[[1952年]]から工場の[[オートメーション]]化に着手し、[[ビスケット]]製造ラインに独自開発の機器を次々と投入するなどして生産性の向上を図った結果、[[1960年代]]には生産量で[[ヨーロッパ]]最大の製菓工場に成長した。
 
[[1971年]]、第九次[[五カ年計画]]早期達成の功績でソ連[[最高会議]]の[[レーニン勲章]]を受章した。[[1970年代]]には、ロシア風菓子の製造販売を手がけていた[[大阪府]][[豊中市]]の[[パルナス製菓]]の招きで、社会主義労働者英雄称号を持つ女性主任技術者、E・A・オージナ({{lang|ru|Е.А. Ожина}})が2度にわたり渡日し、同社ケーキ製法などの技術指導を行った<ref>「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」({{lang|ru|Японская фирма «Парнас» приглашает работницу фабрики, Героя Социалистического Труда Е. А. Ожину в Японию для обмена передовым опытом.}}) [http://www.kraft-bolshevik.ru/ru/about/history/ {{lang|ru|История компании}}] (株式公開会社ボルシェビク公式サイト・社史)</ref>。
 
[[市場経済]]導入後の[[1994年]]、フランス・[[ダノン]]社が出資する株式公開会社ボルシェビクとして民営化された。その後[[2007年]]に[[クラフトフーヅ]]ロシア社が買収し同社の傘下に入った。
 
本社はレニングラード通り15番地にありの本社は、製菓卸業の「707」社({{lang|ru|Компания "707"}})がボルシェビクブランドで運営するケーキ店([[1998年]][[11月]]開設)が設けられ、ボルシェビク製品を直販しているほか、ウェディングケーキやバースデーケーキなど伝統的ロシアケーキの受注生産を行っている。
 
一方、A・スー&K社時代から1世紀以上わたって操業し建設された本社工場は、都市再開発事業のため[[2009年]]クラフトフーヅがモスクワ東方約180kmの[[ヴラジーミル州]][[ソビンカ]]市に建設した新工場に移転し、同年[[10月14日]]から操業を開始した<ref>[http://www.kraft-bolshevik.ru/ru/pressa/news/200812121518-2d9t.htm {{lang|ru|ОАО «Большевик» объявил о переводе производства в Собинку}}] (株式公開会社ボルシェビク、2008年5月27日)</ref>。
 
==現在の主な製品==