「菅原孝標女」の版間の差分
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父は[[菅原道真]]の子孫・上総・常陸の受領・[[菅原孝標]]。母は[[藤原倫寧]]の娘。母の異母姉([[おば|伯母]])は『[[蜻蛉日記]]』の作者である[[藤原道綱母]]。兄・[[菅原定義|定義]]、甥・[[菅原在良|在良]]は学者である。
彼女は[[寛弘]]5年([[1008年]])に出生。[[寛仁]]4年([[1020年]])、
[[祐子内親王]]([[後朱雀天皇]]第三皇女)に仕え、[[長久]]元年([[1040年]])頃、[[橘俊通]]と結婚。[[寛徳]]2年([[1045年]])に一男(仲俊)と二女をもうけたが、俊通は[[康平]]元年([[1058年]])に死去し、子供達も独立して彼女は孤独になった。このとき
== 作品 ==
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