「魏晋南北朝時代」の版間の差分

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'''魏晋南北朝時代'''('''ぎしんなんぼくちょうじだい''')とは、中国史において、[[後漢]]末期の[[黄巾の乱]]からはじまり、[[隋]]が中国を再び統一するまで、中国に王朝が割拠していた時期を表す。([[184年]]-[[589年]])
 
この時代の呼び方には複数ある。華北においては[[劉淵]]が[[前趙|漢]]を建てた[[304年]]から[[北魏]]が華北を統一した[[439年]]までを'''五胡十六国時代'''と呼ぶ。一方、[[西晋]]の滅亡から[[589年]]の[[隋]]の統一までを'''南北朝時代'''と呼び、黄巾の乱から隋の統一までを全て併せて'''魏晋南北朝時代'''と呼ぶ。五胡十六国の名前は旧来から使われてきたのだが、胡の字には異民族に対する差別的な意味合いがあるので近年使われなくなり、それに代わり'''東晋十六国'''の名前が使われるようになった。
 
この時期、華南には[[三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]、[[東晋]]、[[宋 (南朝)|宋]]、[[斉 (南朝)|斉]]、[[梁 (南朝)|梁]]、[[陳 (南朝)|陳]]の6つの国が興亡した。こちらを南朝と呼び、あわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を'''六朝時代'''とも呼ぶ。六朝はいずれも[[南京|建業]]を首都としたので(名称は変った)、この時期江南の開発が一挙に進み、後の隋や[[唐 (王朝)|唐]]の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に、[[茶]]などの六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄え、[[陶淵明]]や[[王羲之]]などが活躍した。